サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

ほこりまみれの兄弟

ローズマリー・サトクリフによる小説『ほこりまみれの兄弟』(乾侑美子訳、評論社、2000)をご紹介します。 原著"Brother dusty-feet"は1952年の作です。

 

作者サトクリフは20世紀イギリスの歴史小説の大家。私はアーサー王伝説の再話の人として名前だけ知っていました。

若い頃には『イルカの家』や、今回ご紹介します『ほこりまみれの兄弟』などの児童文学も手がけていたそうです。

 

ときはエリザベス一世の治世(だから16世紀ごろ?)、主人公は10歳の少年ヒュー。養父母の虐待に耐えかねたヒューは愛犬アルゴスならびにツルニチニチソウの鉢植えと共に家を脱走し、亡き父から幼い頃に聞いたオックスフォード大学を目指して冒険を始めます。その道中で旅芸人の一座と出会い、「ほこりまみれの足」として珍道中を繰り広げるのでした。

「ほこりまみれの足」というのは移動生活する人全般を指す言葉だそうですが、本作ではヒューのあだ名でもあります。

 

旅芸人たちと一緒に縛られることのない気ままなノマド暮らし……というばかりでなく、旅芸人の類をよく思わない人から罵詈雑言を浴びせられたり悪意を持った大衆から腐った卵を投げつけられたりと、なかなか厳しい描写もあります。「商人としてはとんでもない詐欺師だけど友達としてはけっこういい奴」という複雑なキャラクターが登場したりも。

しかしだからといって露悪的な雰囲気は無く、あくまで明るいジュブナイルとなっているのがなかなかすごいです。筆致の巧みさですね。

 

牧神好きとして見逃せないのは第6章の「牧神パンと星」です。クリスマスの夜、一座の軽業師ジョナサンがクリスマスのお話をしてくれる…という体で語られる、本筋とは一見関係のない挿話となっています。

おおまかにまとめると、「冬のさなかに春が来たような気配で目を覚ました牧神パンが、何かに導かれるようにベツレヘムへ向かうと、そこには生まれたばかりの幼児イエスがいて、大いなるおそれと愛しさを抱いたパンはこの幼児が新しい王となることを知り、イエスへの贈り物に葦笛を置いて去っていった。パンの行方は誰も知らず、人々はイエスのもとにパンがやってきたことを次第に忘れていった。」というお話。プルタルコスの語った「大いなるパーンは死せり」の伝説(の主流な解釈)を優しく優しく切ない物語に仕立てたような、「神」の代替わりの物語です。  

 

パンの行方は誰も知らないことになっていますが、この小説全体の中ではある「匂わせ」がなされていると感じられます。 第4章「笛吹き」と第7章「アルゴス」に登場する巡礼者の笛吹き、明言はされていませんがたぶん彼は牧神パンです。こんな「あかつきのパン笛」のような魔法の笛を吹いて動物たちを気にかける存在は牧神パンしかいません。というか彼がパンでなかったら6章のパンの物語が唐突過ぎます。

この4、6、7章によって、人々はパンのことを忘れてしまったけど、パンは今も社会からはみ出してしまう「ほこりまみれの足」を見守っているんだよ……ということが感じられて、なかなかいいのです。パン自身も巡礼者の扮装をして、自ら足を「ほこりまみれ」にしているのがグッときます。

 

児童文学とあなどるなかれ。「その後の牧神」の気配がするとてもいい小説でした。