サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

ビリティスの歌

 ピエール・ルイスによる詩集『ビリティスの歌』(ピエール・ルイス著、沓掛良彦訳、水声社、2003)をご紹介いたします。

 

原著"Chansons de Bilitis"は1894年発表。「"ビリティス"なる名の、サッポーと同時代(紀元前6世紀ごろ)の女性詩人による詩集をルイスが翻訳した」という設定で出版され、騙された人も多かったとか。

訳者は諸神讃歌でおなじみの沓掛先生。ルイスの精神に則り「古代ギリシャの詩っぽさ」を心がけた訳とのことです。なんともたのもしい。

 

 『ビリティスの歌』は詩集なのですが、通して読むことでこの主人公ビリティスの生涯が浮き上がってくる構造になっています。序文でルイスがビリティスの生涯の概要を書いておいてくれてるのでさらに理解しやすい。

詩集は3部構成となっており、第一部は彼女がパンフィリーの野で過ごした少女の日々、第二部はレスボス島で恋人と過ごした日々、第三部はキプロス島で遊女として過ごした晩年の日々が収録。 解説で沓掛先生が「好色一代女」なんて評してるように、わりとストレートにエロティックな詩が多いです。職場で読まないようにしましょうね。

 

さて、そんな一生涯エロかった女性ビリティスの歌には、いくらかパンやサテュロスが登場します。 とはいっても確認できたのはほとんど第一部のパンフィリー時代のみ。女だらけのレスボス島にパンやサテュロスの入る隙が無いのは察せられますが、キプロスにもいてほしかったですね…トレンディ(?)な アフロディーテの島に野山の神々は似つかわしくないということですかね。

しかしパーンやサテュロスに限らず、歌われる神々の移り変わりによってビリティスの心境の変化、すなわち「女の三世代(子ども、お姉さん、おばちゃん)」が表現されているのは、読んでいてなかなか興味深いものでした。

まあ、実際書いてるのは男なので所詮「男にとって都合の良いファムファタール」なんですけどね。

 

以下そんなエロい女(に扮したエロい男)によって歌われたパーンやサテュロスたち

 

 ・牧場の歌

のんびりとした牧歌です。パンが「真夏の風の神様」と呼びかけられています。素敵。

 

・花

ニンフに呼びかける歌。特にパンフィリー時代のビリティスはよくニンフと友達になりたがっています。

「出てきてくれなきゃあんたたちのひとりがサテュロスと交わっていたのをバラすわよ!」という節があります。まっくろくろすけに「出ないと目玉をほじくるぞ」って言うやつ、のお下品バージョン。

 

・月明かりでの踊り

夜中に少女たちが踊っている情景。少女たちがニンフなのか人間なのかは不明瞭です。

しかし木の下でパンが笛を吹いているとのことなので、ニンフたちの踊りなのかもしれません。

 

・牧笛

特にそれらしい存在が出てくるわけではありませんが、詩の原題が"La Flûte de Pan"のようです。

パンフィリー時代の恋人である少年リュカスが贈ってくれた笛の歌です。

 

・水の精たちの歌  

第一部の最後の歌。具体的に何が起こったのかはわかりませんが、ビリティスの少女時代が完膚なきまでに終了したことを示している歌となっています。

その「終わり」の表現として、恋人リュカスが「サテュロスたちもニンフたちも死んでしまった」と語ります。

わたくしこちらの詩かなり好きでございます。

 

わかりやすく登場するのは以上(全部第一部)なのですが、このほか第三部のキプロス遊女時代の詩のなかに「半獣神たちの踊り」というタイトルが見られます。「古代ギリシャの詩を訳した」という体なので、「タイトルだけ判明してて内容は欠落している詩」も目次に書いてあるわけですね。

「消えた詩」にサテュロスを持ってくるセンス、非常に好感が持てます。

また「色の道を誤った男に」には「サテュラ」なる遊女の名前が出てきます。明らかにサテュロスの女性形です。 残念ながら脚がヤギということもないようですが。

 

ところでこちらのビリティスの歌には、ルイスの友人であるドビュッシーが作曲した付随音楽があります。

まずインスパイアを受けて1897年から3曲作り、その後「ビリティスの歌」の朗読&パントマイム劇のために1900年に12曲、さらにそれらをピアノ連弾用に練り直し『6つの古代碑銘』として1914年に発表した……という流れでしょうか。

その最初の3曲のうちのふたつに「パンの笛」と「ナイアードの墓」、次の12曲のうちに「牧場の歌」があり、また『6つの古代碑銘』には「夏の風の神、パンに祈るために」という曲があります。あと順番的に「無名の墓」「無名の墓のために」は「ナイアードの墓」と同じモチーフかもしれません。

決して多くはない曲の中にけっこうかたくなに半獣神をねじこんでくれるドビュッシー、ありがとう。

 

ドビュッシーで半獣と言ったら「牧神の午後のための前奏曲」という大物が控えているわけで、こちらの話も近いうちにまとめないとな……と思っています。