サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

牧神(ファヌス)

アレクセイ・トルストイによる「牧神(ファヌス)」をご紹介いたします。

テキストは『現代ロシア幻想小説』(川端香男里編、白水社、1971) によります。「牧神(ファヌス)」は佐々木彰訳。

原作は1912年ごろ発表、原題はФавн(Favin)。

 

あらすじ

霧に包まれて電灯が灯る真昼時のペテルブルクにて、マリーシャ・モーリナというひとりの少女が、デートに遅れまいと走っていた。霧の中に立つ不気味な男を避けて辻馬車をつかまえて行先を告げると、外に馬車につかまっている赤毛の男がいる。見ればさっきの不気味な男である。マーシャは悲鳴を上げようとしたが、男はマーシャの唇にキスをして姿を消した。

デート相手のお堅い役人にそれを報告すると、相手は怒り心頭、その男はここ数日ペテルブルクで多くの目撃情報が寄せられており、たくさんの貴婦人が嫌な目を見ているのだという。

帰宅したマーシャは母親との口論の末に「デカダン詩人(さっきのデート相手とは無関係の他人)とフィンランドに駆け落ちしてやる」と啖呵を切り、実際そのデカダン詩人に電話をかけて家に呼ぶ。するとその詩人が本当に家に来てしまう。

詩人はマーシャの手を引いて馬車に乗せ、知らない沼のほとりへ連れていく。詩人は沼の中洲に建つ家にマーシャを連れ込み、自分の正体は詩人ではなく牧神の王なのだという。詩人の真の姿は、全身が赤毛に覆われ、足にはピカピカ光る蹄があり、金色の角が生えていた。家の外でもほかの牧神たちが跋扈する音が聞こえる。

おびえるマーシャに牧神は「おれの妻にしてやるよ」「おれたちの言う通りにしない者は命がないのだ」とのたまうが……

 

は?私と結婚してくれよ

取り乱しました申し訳ありません。

良い!と思った要素を抜き出して行こうとすると全文書き写すことになりそうで、ある種とらえどころのない物語です。

大枠だけにするなら「お転婆現代っ子が牧神に誘惑され、幻想世界を垣間見、それらに幾分か惹かれつつもやっぱり拒絶する」というお話です。牧神は数度姿を変えて登場し、最初の霧の中の不気味な男、(上では省略しちゃいましたが)マーシャの家の下宿人、デカダン詩人、そして正体の牧神の4形態があります。いずれにもマーシャは魅力と嫌悪の両方を感じるようです。

牧神たちは人間の中で暮らしながら「だましたり、かどわかしたりしている」とのこと。ナンパに成功するやつもいるということですね。私と結婚してくれ。(二度目)

 

解説によれば、この物語の真の主人公は「遠くから吹いてペテルブルクを覆う霧」そのものなのだそうです。途中に出てくるデカダン詩人の名は「ブレードヌィ」ですが、こtれも「青ざめた」という意味で、霧を連想させるもの。

スラヴにはスラヴ特有のゆかいな妖怪たちがいる(特にレーシィなんかはかなり牧神っぽい)のにあえてギリシャやローマ由来の牧神が題材に取られているのも、はるか彼方の異国から流れてくる不気味な気配が本質とすれば、なるほどと思われますね。「フィンランド」というのもまさに「なんとなく遠い外国」のイメージのために使用されているだけなのでしょう。フィンランドにパーン、サテュロス、ファウヌスはいないので。(フィンランドの神話的叙事詩にはヒーシというそれっぽいのがいないことはないけど)

それにしてもそんな異国の妖怪として牧神を選んでくれたことについては感謝しかありません。ありがとう。

 

ところで解説部にはロシアの幻想文学の系譜について記されているのですが、その全体的な特徴として、ミハイル・バフチーンの発言を引用し「事物と肉体の独特なサチュロス劇」という文言がありました。

どうもありがとうございます。