イスタンブールの初期キリスト教会の遺跡にて、破損したパーン像が発掘
2023年6月1日イスタンブールにて、1700年ほど前に作られたとされる我らが牧神パーンの像が発掘されました。大変めでたいことです。
せっかくなのでそれを取り上げている海外ニュースを訳しておこうと思います。いつものようにグーグル翻訳に毛が生えたレベルのものですが、悪しからず。
元記事"Broken pagan statue of Greek God Pan unearthed at early church ruins in Istanbul". LIVESCIENCE. 2023/06/13. 2023/06/19閲覧↓
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イスタンブールの初期キリスト教会の遺跡にて、破損したギリシャ神話のパーン像が発掘
大理石製のギリシャのパーン像が、イスタンブールの遺跡の「埋め土」の中から発見された。この土は古代に別の都市から運ばれてきたものと考えられる。
イスタンブールの考古学チームは初期キリスト教会の遺跡で、ギリシャ神話のパーン像を発掘した。像は山羊の角と裸の上半身、そして葦笛を吹く姿で表されている。
キリスト教会がそんな異教の神像を保管していたとは信じがたいことだが、学者たちはその状況の見立ては現代ならではの勘違いと見ている。この遺跡は紀元後6世紀に聖ポリュクトス教会であった場所で、1453年のオスマントルコの侵攻まではイスタンブール(当時はコンスタンティノープル)最大の教会のひとつであった。遺跡が発見されたのは1960年代、道路建設の作業員たちが偶然教会の痕跡を見つけたものである。発掘の後、考古学者たちは遺跡を隠すように埋め戻し、今回の像はその遺跡の埋め戻しに使われた土砂の中に紛れていたものと考えられる。(イスタンブール都市自治体(IBB)のMahir Polatによるeメール返答より)
(※訳者註:発掘され土砂にまみれているパーン像の写真)
像はイスタンブールの聖ポリュクトス教会、を埋め立てるために1960年代にどこかから持ってきた土砂の中から発見された。画像はIBBより。
この新発見は聖ポリュクトス教会遺跡の地下室ならびに地下トンネルの発掘から数週間と間を置かずにもたらされた。(IBBは遺跡を観光地として整備するために開発していたところだった。)Polat曰く、パーン像は6月1日、主たる教会の建物の北西部、深さ8.5フィート(2.6メートル)の地点で発見されたという。この大理石の像は大きさとして1フィート(20センチメートル)以下で、損傷の度合いは激しい。残っているのは頭と胴体と片腕のみである。しかしそれでもその古典芸術としての重要性は明らかである。
Polat曰く、像はローマ期の間、コンスタンティノープルが紀元後330年に発見される前に作成されたと思われるという。正確な年代はさらなる調査でわかっていくかもしれない。
ギリシャの野生の神
パーンはギリシャ神話における、原野、森林、農耕、牧羊、家畜などの神。("Early Greek Myth: A Guide to Literary and Artistic sources" Timothy Gantz, Johns Hopkins University Press, 1996)パーンは本来は豊穣の神と考えられ、ニンフたちとの戯れが特徴的である。
パーンは葦笛(パンパイプ)を吹いている姿でおなじみであり、そのふたつに割れた蹄や毛の生えた脚、そして山羊の角を持つ姿から、しばしばフォーンと同一視される。(キリスト教における悪魔もまたよくそのような姿で表されるが、イギリスの史学者Ronald Huttonが言うにはそれは偶然ではないという。)
(※訳者註:洗浄されたパーン像の背中の写真)
像は紀元後4〜6世紀にコンスタンティノープルに、宮殿の装飾のためにもたらされたと考えられる。画像はIBBより。
the Online Etymological Dictionaryによると、現代英語で言う”panic”という言葉はこのパーンに由来するという。元はギリシャ語で言う”panikon”、「パーンに関わる」という意味である。おそらくパーンは、鬱蒼とした森の中での「動物の群れや群衆、またひと気の無い場所で起こるいわれ無き恐怖」を起こすのであろう。
古代のイスタンブール専門家Ken Dark曰く、今回のパーン像は紀元後4〜6世紀にコンスタンティノープルに、芸術的または歴史的好奇心のために持ち込まれたものであろう、とのことである。また同氏は、「どれも教会や修道院には飾られず、その代わり公共施設や富裕な民家に飾られただろう」と語る。「このパーン像は建物が使われなくなった後にこの教会の遺跡に放られ、破損したのでは」
コンスタンティノープルがなぜ、6世紀以降このような像を輸入するのを辞めたのかは分かっていない。「もしかするとこうした作品は、ビザンツ帝国の貴族たちがキリスト教文化に重きを置くようになって以降に「キリスト教的でない」とみなされていったのかもしれない」とDarkは語る。
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