サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

ダフニスとクロエー

ロンゴスによる小説『ダフニスとクロエー』(ロンゴス著、松平千秋訳、岩波書店、1991)をご紹介します。

小説か古典か迷うとこなのでカテゴリー両方つけとこ

 

原著"Δάφνις καὶ Χλόη"は紀元後2〜3世紀に成立した、4巻からなる長編小説。ギリシャ語の大衆小説で、今もほぼ欠落なく残っている数少ないもののうちのひとつです。作者「ロンゴス」なる人物のことは、名前以外ほぼ何もわかっていないとのこと。

内容は「作者がレスボスで狩をしているときに見つけた見事な絵をもとに書き上げた、エロースとニンフ、そしてパーン、また恋をするすべての人に捧げる小説」というオシャレな体で書かれた、レスボス島のミュティレーネー郊外、とある海辺の村で起こるラブストーリーです。

山羊飼いの少年ダフニスと羊飼いの少女クロエーが出会い、互いを意識し、度重なるピンチを乗り越えるたび思いは強まり、最後は結婚して末長く幸せに暮らす、という大変オーソドックスなボーイミーツガール。紀元後数百年という大昔でも、人間のやってることは変わらないということがわかります。ほほえましいですね。

 

テオクリトスから連なる「古代ヨーロッパの牧歌的楽園」のイメージとしてか、時代を問わずモチーフとして人気があり、いろんな美術館のサイトで「daphnis and chloe」で検索してみるとなかなかたくさんの作品が出てきます。ちなみに私が持っている岩波文庫版は、ナビ派の画家ピエール・ボナールによる挿画つき。

 

クラシック音楽に関心がある方なら、モーリス・ラヴェル作曲のバレエ音楽『ダフニスとクロエ』が馴染み深いかもしれません。バレエ・リュスでの初演時の配役はダフニスがニジンスキーでクロエがカルサーヴィナですって?勝ち確じゃないですか。(ラヴェルが作曲に時間かけすぎて振付まで時間が回せずかなりグダった的な情報が出てきましたが……)

 

さて、そんな『ダフニスとクロエー』は冒頭でパーンに捧げられている通り、パーン信仰がすみずみまで行き渡っている大変ありがたい物語でございます。パーンの全体的な印象は「人間嫌い」と同じ感じで、恋人たちをやさしく見守る強い神様ですかね。

ではいつものようにパーンに言及されたシーンを拾い読みしていきましょう。

 

・パーンの小像

近所の松(パーンの聖樹)の木の下にあり、何回出てくるかわからないくらい何度も出てきます。ビジュアルとして「山羊の脚をして角を生やし、片手に笛を持ち、もう片手で飛び跳ねる山羊をおさえている姿」という描写があります。

絵画に描かれる時は、このパーンの像の近くで戯れているふたりのシーンが選ばれることが多い気がします。(ヘルマ柱のイメージが先行してか腕がない像になりがちですが)

Spring (Daphnis and Chloë) (Jean-François Millet, 1865)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jean-Fran%C3%A7ois_Millet_-_Spring_(Daphnis_and_Chlo%C3%AB)_-_Google_Art_Project.jpg

たとえばこちらは「晩鐘」でおなじみのミレーによるダフニスとクロエー。見てくださいよこのパーン像のやさしいおじちゃんの面持ちを。こちらの作品は上野の西洋美術館の常設展にありますので、上野にお越しの際はぜひご覧になってください。

 

・恋の助けにはなってくれないパーン

エロースの病(恋)に取り憑かれたらパーンに祈ったってなんにも楽にならない!らしいです。けっこうこういう感じで軽んじられてるところもあり、それが「地元の神様」感があっていいな〜と思われますね。「様」じゃなくて「さん」付けで呼ばれるような。パーンさん。

 

・海賊に攫われたクロエーを助けるパーン

パーンの作中最大の活躍です。

まずなんやかんやあって村を海賊が襲い、クロエーは攫われダフニスが激しく嘆き悲しむのですが、彼の夢枕にニンフたちが現れ「クロエーのところにはパーンを送り込んだから安心しなさい、あの神様は私らより戦い慣れしてるから」と告げます。(「戦い慣れしてる」というのはヘシオドスの「歴史」におけるマラトンの戦いのこと)

一方その頃海上では、船の上から見える陸地が急に妙に輝き、波を打つ大きな船の櫂の音が聞こえ、クロエーと共に攫われたダフニスの山羊の角には木蔦が生え、クロエーの羊は狼のように吠え、海賊の船は錨が上がらなくなり、櫂が折れ、船のそばでイルカは暴れ、岬からラッパのような笛の音が聞こえてきます。

さらに船の司令官の船長の夢にパーンが現れ、「ワシのお気に入りの村で何してくれとんじゃ」と叱責、司令官にクロエーを解放するよう命令します。ビビった司令官が言われた通りクロエーと家畜たちを解放すると、船は錨を上げる前から滑るように動き始め、先ほどのおそろしい音とはうって変わった美しい笛の音が聞こえてくるのでした。

 

・↑に対するダフニスの感謝

海賊撃退のあと、いつものパーン像の前でダフニスがパーンのために供物を捧げる描写があります。

群れの中でいちばん強いボス格の山羊を連れてきて、これに松の冠をかぶせ、その頭に葡萄酒を振りかけ、屠り、松の木に吊るして皮を剥ぎ、肉を調理してそばに並べ、残った皮は角をつけたまま松の枝に縛る、という手順が記され、「牧人が牧神に捧げるにふさわしい奉納品」とされます。

本当にこうしたしきたりがあったのか、ある程度ロンゴスが「ぽさ」を意識して創作したのかは分かりかねるところですが、とりあえず「ダフニスとクロエーではそう言ってた」ということで覚えておきたいところです。

ちなみにこの供犠のあとには村人たちがやってきて、像のそばで宴会がはじまります。像にはさらに花輪や葡萄が供えられ華やかに。

 

・おたわむれ

ダフニスがパーンにかけて「クロエーと片時も離れない」と誓うと、クロエーは「パーンはいろんな女の子に恋する浮気な神様だから信用ならん、お前の山羊たちにかけてもう一回誓え(本当はもう一回誓いの言葉が聞きたいだけ♡)」とおねだりします。

やっぱなんか軽んじられてるんですよねパーンさん。いいですね。

 

ほかにもこまごまとパーンの名前は出てくるんですが、こまごまなので割愛。

 

少ないですがサテュロスに関する記述もあったので、それもまとめておきます。

 

・ダフニス最初の恋敵ドルコーン

ドルコーンはダフニスより年長で、すでにヒゲなど生えているたくましい青年。しかしそれによってダフニスに「こいつにはヒゲがあってぼくには無いけど、ディオニューソス様だってヒゲは生えてないし、サテュロスよりディオニューソス様の方がえらいわけよ」と言われます。遠回しな言い方だ。

ちなみにドルコーンくんをはじめとした恋敵たちはひっくるめて「アミンタ」サテュロスにかなり似たふるまいをします。そう考えると「アミンタ」ってかなりダフニスとクロエーをリライトしたような物語なんだなーと思われたり。

 

・クロエーに言い寄る近隣の村の男たち

葡萄の収穫で人手が必要になり近隣の村からたくさんの人がやってきます。そういう外から来た男たちにクロエーはモテモテで、男たちはまるでサテュロスのようにクロエーの周りで踊り狂い、ダフニスはかなりおもしろくない、というシーンがありました。

 

またフォーキン振付のバレエでは、海賊たちからクロエーを取り返すシーンでサテュロスがいっぱい出てきたみたいです。原作にも出てきてほしかったな。