サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

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ブラック・ミュージック

ウィリアム・フォークナーによる短編小説「ブラック・ミュージック」をご紹介します。

テキストは『フォークナー全集10 医師マーティーノ、他』(瀧川元男 訳、冨山房、1971)によります。小説自体が発表されたのは1920年代半ばだそうです。

 

フォークナーといえば言わずと知れたアメリカ文学の巨匠。解説によれば「敗者の栄光」を常に書いていた作家とのこと。個人的に大変好きな概念です。「敗者の栄光」。

ただ文章自体はなかなか要領を得るのが難しく、「まずざっと読んで大意を掴む」ということを拒んできます。おのずと長い時間をかけて、ゆっくり噛み締めるように読むことが求められます。

 

さて、「ブラック・ミュージック」の話にまいりましょう。

キューバの小さな港町リンコンに、不思議なおじいさんが住んでいます。アメリカからやってきて身寄りもなく明らかに貧乏なのに、なぜかとても幸福そう。聞けば酒場の屋根裏を下宿にしてタールを塗った屋根葺き紙にくるまって寝ているとか。ますますもってなぜそんなに幸福そうに見えるのか。

本人はそれに対して、「私は生涯で1日だけ、牧神になったことがある」というのです。

 

おじいさんの名はウィルフレッド・ミズルストン。かつてはニューヨークの建築事務所で製図士をしていました。

あるときその建築事務所の社長がヴァージニアの山の土地(なんか呪われてて持ち主が次々と負傷したり死んだりしていた)を安く買い、社長の妻がそこに豪勢な別荘を作ることになりました。ミズルストンは社長夫人へその別荘の一部の設計図を届ける任務を受け、身なりをきちんと整えてヴァージニア行きの汽車に乗り込みます。

 

そして汽車に揺られながら、ミズルストンは窓の外に牧神の顔を見ました。

 

汽車が止まり、ミズルストンは迎えの男たちに笛を買ってくるように頼みます。おや?

迎えのワゴンに乗った人々はミズルストンを中心にみんなで歌って道を進み、ミズルストンは服を脱いで全裸になり、全裸はまずいからさすがにパンツは履けと言われパンツは履き、社長夫人の待つ家へと向かって行きました。

 

……というところまで語った現在のミズルストンおじいさんは、ぼろぼろの古新聞の切り抜きを見せてくれます。

記事はヴァージニアの山岳地帯に半裸の狂人が現れ、建築会社の社長夫人が恐怖で失神した事件を語っていました。

またそれに続いて見せてくれた切り抜きは、ニューヨークの建築家が謎の失踪を遂げたという記事だったのです。(名前が「ミズルストン」じゃなくて「ミドルトン」になってたから投書して訂正を求めましたよ、とはおじいさんの弁。)

 

細かく読んでいるとちょっと男尊女卑的な描写にムムっとならなくもないのですが、「アメリカの山に取り憑いている牧神が手近な人間を利用して土地開発しようとする人を追い払う」という大枠は私の大変好きな筋でございます。

その利用された人間が多幸感だけ持たされて社会から完全ドロップアウトさせられてるのも非常に良い神ムーブ。ミズルストンおじいさんが不自然なくらい幸福そうであることが繰り返し語られるので、もうね、羨ましくなっちゃいますね。「1日だけ牧神になったことがある」に由来する多幸感で余生過ごせるなら社会ドロップアウトくらい屁でも無いわ。私にもやらせてくれ。

 

好きなくだりは社長夫人の証言からなる新聞記事。

ミズルストンは汽車から降りてきたときに買ってもらった笛をピーヒャラ吹きながらキャッキャしてただけと思われるのですが、恐怖に駆られた社長夫人が「その男がしきりと猟奇的にナイフをなめてたんです!!」みたいな証言をしていたのが笑えました。

フォークナーには漠然と「アメリカ南部のめっちゃ暗い話を書く人」というイメージがあったんですけど、意外とそういうおもしろ要素を求めてもいいのかもしれません。

 

ちなみにフォークナーの別の短編「カーカソーン」(同じ冨山房によるフォークナー全集の8巻に収録)はキューバで暮らすミズルストンおじいさんのとある1日を描いた散文だそうです。こちらには残念ながら牧神は出てこないのですが、屋根裏部屋で例のタールを塗った紙にくるまってゴロゴロしながら自分の骨と会話して「詩が書きてえ〜」と言っているミズルストンおじいさんが確認できます。

あるとき何かに導かれるように人外になり蒸発した男がその後誰もいない場所で「詩が書きてえ〜」と言っている……ってなんか中島敦の「山月記」みたいだなと思いました。李徴はずっと虎だし不幸そうだから違うけど。