サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

芝刈り機の男

ウィキペディアに「大衆文化のパーン」というありがたいにも程があるページがあり、ここを参考にネタを探るのもいいなと思いました。

Pan in popular culture - Wikipedia

 

というわけで今回はそこから、スティーブン・キングによる短編小説「芝刈り機の男」をご紹介いたします。最後までネタバレしますので、これから読みたい方はお気をつけて。

 

「芝刈り機の男」は1975年の作で、短編集『ナイトシフト』に収録された一編。私が読んだのはその『ナイトシフト』を2冊に分けて出版した文庫の後半の巻、『ナイトシフト2 トウモロコシ畑の子どもたち』(スティーブン・キング著、高畠文夫訳、扶桑社、1999)に載っていたものでした。

 

あらすじ。

茫々に生い茂った庭の芝をどうにかしようと新聞に載っていた造園会社に電話したところ、家にやってきた業者のおじさんは全裸になって芝刈り機の刈った芝をムシャムシャ食べ始めた!こんなのご近所の方に見られたらどうしよう!!

 

この業者のおじさんは足先が二つに割れており、どうも蹄があるらしい、そしてみるみるうちに全身が緑色の体毛、体毛というか草?に覆われていきます。

おじさんが言うにはこの造園会社の社長は牧神パーン。無人で動くふしぎな芝刈り機のうしろを追いかけては刈られた芝をムシャムシャ食べていく(角を曲がる時には変なステップを踏む)(それに関しては詳細な説明なし)、という芝刈りと刈った芝の処理が同時にこなせる方法を思いついたのが、他ならぬパーンだといいます。

社長がパーンということは、この従業員のおじさんはサテュロスと言っていいでしょうか。

つまりこういうことか

か、かわいすぎる。(文中のサテュロスはむさくるしい芝刈り業者のおじさんなので全くかわいくない)

サテュロスなるものはディオニュソスと結びつきがち、かつパーンと同一視されがちであるため、「パーンの配下」といったものとして描かれることは少ないんじゃないかと思います。(サテュロス劇の時代まで遡れば「シレノスの配下」としてのサテュロスは多いけど)

でも私はパーンがサテュロスたちの大将ヅラしてたら嬉しいので、この設定はかなりおいしいですね……

また20世紀のアメリカでしたたかに生き残ってるサテュロスたちというのもおいしい。すごくおいしい。

そんでヤギだからみんなで草を食べる事業をしてるというのもおいしすぎる。「パーンやサテュロスはヤギだから草をめちゃくちゃ食う」という設定は案外見ません。しかし考えてみればヤギってのは数頭いればひとつの山をすっかりハゲ山にしてしまえる恐ろしい生物です。

まとめると、パーンがアメリカでサテュロスを集めて音頭を取って「俺たちの力でレビットタウンじゅうの草を食い尽くしてやろうぜ!!」とかなった世界線がこの小説「芝刈り機の男」ということなんじゃないでしょうか。

なんだそれかわいすぎる。

 

物語はその後おじさんが「うちの社長って神だから生贄がほしいんすよね、生贄ないですか?そこの小鳥の水浴び用の水盤は生贄のっけるのにちょうどよくていいんですけど……」と言ってきます。

パニクった家主は警察に電話し「うちの庭にすっぱだかのおじさんが!!」と通報しますが、するとすっぱだかのおじさんは「警察はダメだよ〜」と言いながら家主を生贄にしてしまいました。

そして警察が到着したころには芝生はとってもキレイに刈り込まれ、水盤には人肉がてんこ盛りになっていましたとさ。おしまい。

 

人外をオーソドックスに「あちら側」に設定した小説なのですが、とにもかくにも舞台設定が20世紀のアメリカである点がイイ!!!です。私はこんな弱肉強食の資本主義社会でサテュロスやパーンは幸福になれるのだろうかと常に心配しているので、こうしてまあまあ暮らせているらしい彼らを見るととても嬉しいのです。

人間に対して全く親切でないところもいい。だからといって敵視しているというわけでもなく、「神様だからそりゃ生贄ほしがりますよ当然でしょ」というキョトンとした態度なのがとってもかわいい。

 

ホラー小説の読み方としていいんだか悪いんだかわかりませんが、とりあえず読後私はとても幸せな気持ちになりました。

強くおすすめします。

 

なおこちらの短編を元にしたという映画『バーチャル・ウォーズ』は9割9分9厘が原作と異なりパーンも出てこないらしいので、鑑賞はしないでいいかなと思っております。