サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

ウェルギリウス 牧歌/農耕詩

テオクリトスに続きまして、今度はウェルギリウスの『牧歌/農耕詩 西洋古典叢書 第Ⅲ期第3回配本』(ウェルギリウス、小川正廣訳、京都大学学術出版会、2004)をご紹介いたします。

今回も公式ページへのリンクをば

www.kyoto-up.or.jp

 

ウェルギリウスは紀元前1世紀のローマの詩人。西洋文学なるもの全体に気が遠くなるくらいの多大な影響を及ぼした、ラテン文学の巨人です。

「牧歌」の特色も「農耕詩」の特色も素人には到底まとめきれないので、本の解説にあった「ウェルギリウスは「牧歌」では「ローマのテオクリトス」に、「農耕詩」では「ローマのヘシオドス」になろうとした」という言葉を引かせていただきます。

 

とりあえず文中に登場したパーンやサテュロスやその類のものたち(シレヌス、シルウァヌスなど)の姿をまとめておこうと思います。

 

 

まずは「牧歌(エクロガ)」から。

 

第二歌

牧人コリュドンが美少年アレクシスへの愛を切々と歌い上げたもの。

「僕たちいっしょに田舎の粗末な小屋に住んでパーンの真似していっしょに踊るのもいいと思う!」という感じでパーンの名前が出てきました。

 

第四歌

「黄金の時代」の再来とともに生まれてくるであろう子ども、を歌った不思議な歌。

「あなたが実際に生まれてくるときに、私の息があなたを歌える程度には続いていますように、歌にかけては私はパーンを相手にしてアルカディアそのものが審判になっても勝つ自信があるので」という感じでパーンが。

 

第五歌

テオクリトスでもおなじみであった伝説的詩人ダプニスの、その死と昇天を歌うふたりの牧人。

ダプニスの昇天を見てパーンやニンフが地上で喜んでいます。

また喜んで歌ったり踊ったりしている牧人たちのなかにサテュルスを真似ている人がいます。

 

第六歌

ふたりの牧人がシレヌスを捕らえてこの世の成り立ちを歌ってもらうもの。その歌はアポローンが作り、エウロタス川が聞き、月桂樹に覚えさせた歌だといいます。

シレヌスは洞窟の中で酔っ払って寝ていたところ、その頭からずり落ちていた花輪を縄がわりにして捕らえられてしまいます。かわいいね。シレヌスがさあ歌うぞという段になると、ファウヌスたちが浮かれ騒いで柏の木がざわざわ揺れます。かわいいね。

遅れてやってきたニンフはシレヌスの額とこめかみに赤い桑の実を塗りたくります。第十歌にも全身真っ赤なパーンが登場するくだりがあるんですけど、田園の神の像はなんか赤く塗られがちだったといいます。なぜ?

 

第八歌

ふたりの牧人の歌くらべ。

「マエナルス(アルカディアの山脈)はいつでもパーンの笛の調べを聞いている」とのことです。ウェルギリウス「牧歌」はテオクリトスとの相違として明確にアルカディアを理想郷として描いている点が挙げられている(つまり現在にもある「アルカディア=理想郷」のイメージはウェルギリウスに依るところが大きいということ?)そうですが、実際こういう感じでよくアルカディアが出てきます。

 

第十歌

詩人ガルスが恋の苦しみを切々と歌い上げたもの。

テオクリトスの牧歌の第一歌のように、苦しむ詩人を心配していろんな神や精霊がお見舞いに来てくれます。

シルウァヌスは頭に飾りをつけて、ウイキョウとユリをゆさぶりながら。

パーンは先述の、ニワトコの実と辰砂で全身真っ赤な姿。

ずいぶんイカれた見舞客だな。(これはただの私の暴言です)

イカれた見舞客の図

なおパーンはその全身真っ赤な姿で「アモル(愛の神)のために苦しんだって何の意味もないよ」とアドバイスしてくれます。

 

 

つづいて「農耕詩(ゲオルギカ)」

 

第一歌

畑作の歌。

最初にさまざまな神やら人やら精霊やらに向け「農耕詩がはじまるよー!みんな集まってー!」みたいな呼びかけがなされ、その「みんな」の中にファウヌスやパーンやシルウァヌスがいます。

 

第二歌

果樹栽培の歌。

「死の恐怖を克服しようとした人たちは幸福だけど、パーンやシルウァヌスやニンフを知る人たちも幸福だよね」といったくだりがあります。彼らが「生のよろこび」の代名詞みたいで嬉しいですね。

 

第三歌

牧畜の歌。

「フッカフカの白い羊を選りすぐって育てよう!白い羊毛はパーンがルナ(月の女神)を誘惑するのにも使ったぞ!」みたいな一節が。

 

 

見た感じそんなところでした。お疲れ様でした。

ところでテオクリトスにもよく登場していた「ティテュルス」という牧人はウェルギリウスの牧歌にもよく出てきました。やっぱり「牧人のテンプレートな名前」以上の意味は無いようですが……